変化の理由
		
		 
		 子供の頃、モネの展覧会を見た時に不思議に思った事があります。若い頃の色調は
		
		大胆ながらナイーブな印象でしたが、最晩年の作品は極彩色の炎が激しく踊っている
		
		ようで、まるで水から火への180度の転換を見たような気がしました。それについてはもう
		
		少し大きくなってから、次のような見解がある事を知りました。それは「年令を重ねるに
		
		つれて画家の心がますます情熱的に、自由になった」というものでした。この美しい解
		
		釈が子供心に夢を与えてくれました。
		
		
		 大人になってこのことを思い出したのは、祖父の病室でのことでした。若い頃から絵を
		
		描く事が好きだった祖父が亡くなる1ヶ月ほど前、昔の自分の作品をぐいぐいと塗り換
		
		え始めて物議を醸したことがありました。藤色からグレーがかった空の色は、いきなりター
		
		コイズブルーに・・・小樽の町並みを描いた絵が、なんとなくトロピカルになってしまいまし
		
		た。「せっかく良い絵だったのにぃ〜」(否定派)とか「情熱的な色遣いは元気な証拠!」
		
		(肯定派)とか、家族の意見は様々でしたが 本人の考えは解らずじまいでした。
		
		
		 現在、笛吹きとしての道を模索しながら生活するようになって、美意識、感性、感
		
		覚といったものについて考える事が多くなり、これらの事について昔とはまた別の考えが
		
		浮かんでくるようになりました。「朝起きて見たモノを夜も同じ視点で見るとは限らない」
		
		これは私自身がそうなだけで他人の事はわからないのですが、人間と環境と状況は思
		
		った以上に変化している、そのスピードをあなどっちゃなんねぇ!という気がしてなりません。
		
		
		 だから祖父の目や脳は、若い頃とは色のとらえ方が違ったかもしれない、そしてそれは
		
		マイナスでもプラスでもない一連の変化であって、それが生きるという事なのかも知れず、
		
		即物的だけれど神秘的で夢がある理由といえるのではないかと。
		 
		
		 私の場合、変化の理由は「お腹がすいてるから美味しそうな色合いに弱いなぁ」とか
		
		「暑い時は水色の涼味に惹かれる」とか、あきれるくらい即物的です。「心が情熱的に、
		
		自由になる」的な夢のある理由じゃなくてかっこ悪いかな?でも今はこういう事にしてお
		
		こうと思っています。
	
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