因縁です

 
 私の仕事は今でこそしの笛が中心と言えますが、はじめはリコーダー(ジャンルとしてはヨー

ロッパの古楽)の演奏家を目指していました。
 
 祖父が能楽師だった関係で謡曲、仕舞、能管のお稽古は受けさせてもらっていましたが、

子供の頃の私にはその有難みはあまり解らなかったように思います。16歳の頃に当時テレビ

番組にレギュラー出演中でおられた演奏家の先生の連絡先を何とか調べて弟子にして頂き

(突然事務所に子供の声で「弟子になりたい」と電話がきた時には先生も驚かれたと思いま

すが)、その後は勧められるうちは邦楽関係の稽古も多少受けつつも、その先生の下で西

洋古楽の勉強をしていました。この時点で日本の楽器であるしの笛からはすでに遠ざかりつ

つあったはず、ところが「しの笛への道」はむしろこちらの西洋古楽コースの方にあったのです。


 リコーダーの先生はリコーダーだけでなく他種類の笛の名手で、古楽器、各地の民族楽器

全般に精通しておられ、各地でそれらのレクチャーコンサート(演奏を交えての講演)をなさっ

ていました。私も2重奏のお手伝いのため一緒にあちこちお供していたのですが、その数年

間にリコーダーの他に少しずつですがいろいろな笛を吹く機会に恵まれました。土笛、石笛、

ティビアという人骨製の笛、オカリナ、クルムホルン、ゲムスホルン、ケーナ、サンポーニャ、トラベ

ルソ、バンスリ、明笛、龍笛、しの笛 などなど ・・・。この貴重な体験から各国の民族音楽

の面白さを知ると同時、その中にあった日本のしの笛の魅力を再発見することになった訳で

す。


 それにしても、すぐにしの笛に転身するつもりなどなかったのですが、その後も海外のリコー

ダーセミナーに参加した時も、私が唯一の日本人だったためにしの笛を紹介する羽目になり

、あわてて練習してみたり、ちょっとだけインド音楽の勉強をしていた頃、インドの笛(バンスリ

)の調律の良い楽器がなかなか入手できず、良い笛が届くまでは仕方なくしの笛で練習を

間に合わせたりとしの笛との関わりは重なりました。


 最近はよく年輩の方に「若い人がどうしてしの笛を?」ときかれます。私にとってしの笛の魅

力は一言では語り尽くせず、答えに困っていましたが今までの経緯から考えれば「因縁です」

とお答えしても間違いではないのかも知れません。
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